私のパフォーマンス理論 vol.6 -400Hにおけるハードリングについて-

今回は私の本業の400Hについて書いてみたい。実は私はしっかりとしたハードルの指導を受けたことがない。高校三年生の終わりから400Hを専門にしたが、大学の監督に大まかな方針をもらう程度であとは自分でやっていた。だから自分のハードリングが教科書的に正しかったのかどうか今もよくわかっていない。ただハードルはかなり得意な方だったと思う。

じつは400Hの金メダルを取るにはそれほどタイムはいらず、400mで換算すると日本選手権の決勝(日本で8番目)程度でいい。しかし実際にはハードルを飛ぶ時やまたはハードルに足を合わせる局面で少しずつブレーキがかかり、スピードが低下し400mのタイムにプラス2秒以上かかる。400Hの良し悪しはいかにこの減速を減らせるかにかかっている。具体的に言えば1台目までにどれだけのスピードを作り、そしてそれをいかにして低下させないかが勝負を決めている。

400Hで減速をおこす要素は概ね三つに分けられる。ハードルの踏切、ハードル間の歩幅調整、レースにおける歩幅の設定、だ。それぞれ説明してみたい。

まずハードル自体を越える際に大事なのは鋭角に入ることだ。110Hと違い400Hは91cm程度しかないので、170cmぐらいの私の身長でもほとんど重心を引き上げなくてもハードルには当たらない。だから飛ぶというよりほとんどすり抜けるような越え方で十分と言える。

鋭角に入れている選手は少ない。よくある例でいくと、ハードルの前で少しブレーキをし、体だけを前方に倒し込み、同時にリード足を振り上げ、ハードルを越えると同時にリード足を振り下ろす越え方があるが、これは一見きれいに見える。しかし実際にはブレーキをかけた時点で勢いが死んでいる。ハードル含め全てのトラック競技は自分の胴体をゴールまで早く運ぶ競技であり、前方へ運ばれる勢いが全てだ。空中では何をしても勢いは変えられないので、手足を早く動かすことは無駄だ。同じ角度で入るなら、手足が速く動いているよりも、むしろ緩慢に見えるようなハードリングの方がいい。

練習で鋭角にハードルに入れるようにするには、ハードルを勢いよくいけるぎりぎりの長さの距離をとって行うか、または実戦形式でスタートから1、2台目ぐらいのタイムトライアルを行うのが効いたと思っている。感覚としてはハードルの1,2歩前から少し加速するぐらいの勢いをつけてハードルに飛び込むのを大事にしていた。

次に歩幅調整。足を合わせるために重要なのは、単純だけれど、練習で繰り返し、距離を体に教え込ませることだろう。私はよく、スタートから4台目までいって、60sec休み、5台目から8台目まで走っていた。実践に近い形でかつ体がフレッシュな状態で第三第四コーナーのハードリングを練習できるのですごく効いた。1999年から2001年の2年で1秒以上伸びているがこの5台目から8台目の練習がかなり影響したと思っている。第三第四コーナーの上手い下手で0″4秒ぐらい違うと私は考えている。

いくら完璧にしても試合になるとうまくいかないことがある。二つ要因があり、一つは風などの外的要因、もう一つは自分の緊張などの内的要因だ。練習でどこまで精度を高めても、実際の試合では風が吹く。前から風が吹けばそれだけ歩幅が縮み、後ろから吹けば伸びる。また疲労も影響する。どの程度風が吹いていて、自分の歩幅がどの程度くるかを察知しなければならない。もし察知するのが遅れれば、ハードル前2、3歩で急激に調整することになり、早く察知すれば十数歩に分けて吸収することができる。当然早く察知できた方がいい。自分が今どの程度いつもよりずれた歩幅でいるのかを察知できない選手はレース中に崩れることが多い。

また、内的要因も大きい。私は13歩という歩数を使っていたが、4,5月の練習ではほとんど届いたことがなかった。だからこの時期は練習をするときにはいつもハードル間35mから50cm減らして、34m50cmで走っていた。ところが試合になると興奮してこの50cmが埋まってしまう。それがわからない若い時代はいつも試合前に届かないと思って焦っていたものだ。緊張し過ぎて、体がこわばってピッチを上げ過ぎて歩幅が出なくなるということもある。400Hの中でもオーバーストライド気味に走る選手は緊張して興奮した中で、ゆったりと走らなければならないが、これが相当に難しい。私もよく失敗した。最初の五輪で転倒しているが風と過緊張によって走りがこわばったことが原因だと分析している。年齢を重ね次第に感覚をつかみ緊張してもゆったり走れるようになったが、それと同時に人前で緊張したときにわざとゆっくり話せるようになった。関係あるのか、ただの場馴れなのかいまだに自分でもわからないが。

最後にそもそもどういった歩数でレースを作るか。私はスタートから順に、21,13,13,13,13,14,14,15,15,15,17という歩数だった。この身長にしてはかなり歩数が少ないが、その方が走りやすかった。歩幅を出した方が楽な人と、ピッチの方が楽な人がいるが、ハードルの間のストライドがぴったりの人間はほとんどおらずだいたいどちらかに合わせることになる。何が適しているかは個人によるので、300mぐらいの距離で少ない歩数と多い歩数の両方を同じタイムで走ってみて、どちらの方が主観的な疲労感があるかを見るのがいいと思う。私は圧倒的に歩数が少ない方が楽だったのでストライドに寄せた。400Hをやると400mに戻りにくくなるのは、本来の走りを人工的なハードルに合わせたストライドに変えてしかもそれを自然に感じるところまで刷り込ませるからだ。外国人で両方できる選手がいるが、よく観察するとだいたいハードル間の歩幅調整が下手だ。

さらに疲れた時にもそれなりにハードルを越えられる人と、疲れるとハードルが乱れる人がいる。私は疲れてもかなりうまく越えたので、躊躇せず前半から飛ぶスタイルに変えた。疲れた時のハードルに不安があった選手は前半行きたくても、本当に疲れて転倒するのが怖いのでセーブする後半型にしていた。

ちなみに逆足は絶対に飛べるようになっておいた方がいいと思う。レベルが高くなると飛べなければ相当に不利だからだ。私も少し苦手で、特に左の抜き足がハードルによくぶつかっていた。途中から発想を変え、右足踏切と同じものを作るのではなく、違うものにしようと考えるようになった。左足で踏み切る時は、4,5歩前から右を前にして体を斜めに開きながら走っていき、そのままの形で飛ぶようにした。そうするときれいではないが、ちょうどコーナーで外側に振られる力と重なるのと、左足は体が開いているので余裕があり上に上がってハードルに当たらなくなった。0″02程度はロスがあったかもしれないが、労力と改善のペースが見合わないと思い、8割でよしとする方に切り替えた。

私は短身者で歩幅大きめ、の選手だった。いくつもハードルのスタイルはあり、そのうちのあくまで一つの例だということを付け加えていく。私が受けた唯一のハードルの指導は高校時代の1ヶ月程度で『カミソリになるな、重たい鉈で全部薙ぎ倒せ』とこればかり言われていた。この言葉は少なからず影響している。

この記事を筆者のサイトで読む

このページをSNSやメールでシェア

関連記事

  1. 私のパフォーマンス理論 vol.22-言葉について-

  2. 私のパフォーマンス理論 vol.37-注意の向け方について-

  3. 私のパフォーマンス理論 vol.3 -親について-

  4. 私のパフォーマンス理論 vol.24-年齢と適応について-

  5. 私のパフォーマンス理論 vol.17-ピーキングについて-

  6. 私のパフォーマンス理論 vol.21-ゾーンについて-

りくする公式SNS

Facebook

スポンサードサーチ


よく読まれている記事