戦略は見えない。スポーツの勝利は現場で起きていることがわかりやすいが、現場では見えないところに戦略があり、戦略での失敗は現場の戦術レベルでは覆せない。陸上競技はあまり戦略を意識することが少ないスポーツだが、それでも重要性は変わらない。戦略とは決められた目標の戦い方の大きな方向性であり、戦う場所と言ってもいいかもしれない。最も大きな枠組みでは勝利条件があり、その下位に目標があり、戦略、戦術と降りてくる。具体的には、
勝利条件→何を成し遂げるか
目標→具体的なターゲット
戦略→ターゲットを打ち抜くための方向性
戦術→具体的な方法
は先ほども言ったように戦略での失敗は戦術では覆せなく、目標の失敗はそもそも違うところに選手を連れていってしまう。勝利条件の違いでわかりやすい例で言うと、松井選手が甲子園で全打席敬遠したことだ。敬遠することが正しいかどうか議論があったが、正しいかどうかは勝利条件で決まっている。つまり、大きく分けるとチームの勝利条件は純粋な勝利の追求か、それとも甲子園の文脈に則った上での勝利の追求かだ。一般ファンは娯楽で見ているのでごちゃ混ぜでもいいが、競技者は、戦略が間違えていたのか、それとも目標か、または勝利条件かを分けて議論しなければならない。特に勝利条件が定まっていないと、結果が出た後後出しジャンケン的に自己批判することになるので、避けたい。
戦略が戦術では覆せないことを示す為にもう一つ例を示すと、男子日本代表の4×100mリレーだ。2008年にメダルをとってから今ではもはや常連のようになってきた。分岐点は2000年にアンダーハンドパスという当時主流ではないバトンパスを採用したところだったと思う。これにより、日本は技術を向上させ優位に立ち常連国になった。もしオーバーハンドバスを採用していたら、結果は違ったように思う。つまりバトンパスを洗練させるという下位での活動が活きるかどうかは、もっと上位の戦略で決まっている。間違えた戦略の上で戦術レベルが頑張るとむしろ間違えたと思ったときに変更しにくくなる。
勝利条件は、言い換えれば選手個人の価値観やビジョンになる。自分はどんな競技人生を送りたいか。何を成し遂げたいのか。これを言語化したものが勝利条件だ。私は高校時代に100mから400Hに移ったときに、ノートで両者を比較をした。いろいろと書き連ねたが最終的には、勝ち目は薄いが好きな100mか、好きではないが勝ち目がある400Hか、どちらをえらぶかという問いに行き着いた。それはつまり、好きなことを追求するという内面の感性にコミットした勝利条件か、世界でより高いところに行くという客観的に評価可能な勝利条件かの違いだったと思う。私は後者を選んだ。まとめると以下のようなものだったと思う。戦術は1999-2001年で採用していたものだ。
勝利条件→世界の頂点に立つ
目標→複雑性が高く参加者が少ない400Hで勝つ
戦略→世界一のハードル技術とレースマネジメントを手に入れる。具体的には400mと400Hの差異の最小化。
戦術→3台目までのスピードと200-300mでのスピード低下が重要と判断しそこのトレーニングに特化。海外経験が不足していたので海外でのレースを増やす。
当時は意識していなかったがこれが随分私の競技人生の選択を楽にしてくれたと思う。その後は全ての選択をそれは世界の頂点に近づけるのかという一点で評価をすれば良くなったからだ。ヨーロッパに挑戦するのも、プロになるのも世界に近づけるのかという点だけで判断すれば良く、うまく行ったかどうかも世界に近づけたかどうかだけで判断すればよかった。ご承知の通り、このブログの一連のパフォーマンス理論は世界の頂点に近づくことが勝利条件として設定されている。だから、楽しくやりたい人や、国内で戦いたい人、勝利以上の何かを重視したい人は、合わないアドバイスも多いと思う。目標も、戦略も、戦術も全ては勝利条件によって規定されるからだ。
勝利条件から落としていく考え方は、残酷な側面も孕む。例えば、私の勝利条件は突き詰めると、引退を自らに勧告することもある。もし100mでこの勝利条件を設定していたら、途中でこれでは無理だと判断していただろう。そうであれば早めに引退し、次の世界に行かないと世界の頂点への到達に間に合わない。勝利条件は全てに優先されるからこのようなことが起こる。シンプルに言えば戦略とは勝利条件という判断軸によって設定された目標の為にリソースを最適に配分することだ。つまり何をやらないかを決めることを意味する。日本人は昔から戦術思考、現場思考なので、スポーツではいつもリソースが分散しうまく行っていなかったのが、戦略的思考が得意な西洋人をトップに嵌め込むことで克服した例が多いと思っている。
特に日本のスポーツチームが多いのは、合議制で勝利条件を設定し、曖昧なままポエムのような目標を決め、結局戦略がないまま戦術で現場が必死に頑張るという例だ。特に情報を集めるということを軽視しがちなので、具体的なリソースを無視して高めの目標を設定しがちだ。そうなると戦略も辻褄が合わず、結果戦術で頑張るしかなくなる。この足りないリソースと、現実的にやらなければならないことの間を埋めるために気合と根性という概念が日本の体育会に誕生したのだと思っている。兵站を無視しインパール作戦で現地調達という指示を出したのに似ている。未熟なレベルでは選手の能力をストレッチさせることもあるが、熟達したレベルでは通用しない。
全ては勝利条件から始まっている。勝利条件とは夢であり、欲であり、ビジョンでもある。こと個人競技に関しては、勝利条件の設定は自分しかできない。だから、自分が本当は何をやりたいのか、成し遂げたいのかが不明確であればそれ以下の目標や戦略も全て不明瞭になり評価ができなくなる。突き詰めて自問し、自分は何を勝利条件に据えるのか、言い換えれば何を優先し、何を捨てるのかがクリアになればなるほど、選択は早くシンプルになり、成功確率は高くなる。
1978年広島県生まれ。
スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2018年7月現在)。
現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める。
新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。