アスリートにとって最も限られたリソースは時間になる。私は2000年から2008年までが代表に入っていた間で、実質8年間しか代表選手として活躍していない。成績という意味ではこの期間にアスリートの評価が決まる。それはつまりほとんどのアスリートは時間が間に合わず引退することを意味している。一方で私のように競技人生を長くできるとは限らない。私の基本的な意見は、なるべく生涯にわたってスポーツを楽しんでほしいというものだが、高校時代に燃え尽きたいから早くピークを迎えたいという人もいるだろう。いつピークを迎えるかというのはいつ完成形を目指すのかということで、言い換えればいつ最適化をはかるのかということになる。今回は20歳の後半から30歳にかけてピークを迎える前提でどのような取り組みが望ましいと考えているか書いてみたい。
まず幼少期(10-15才)の時点で、それなりに能力があった場合気をつけなければならないのは早すぎる最適化だろう。陸上では、例えば人間は若い時には大人と比べ、頭が大きく、体幹の筋肉がしっかりしていない。形が違えば同じ力を入れても表層に現れる身体の動きは違ってくる。同じ力で振った場合短いバットであれば早く振れるが、長いバットはゆっくりになるのと同じだ。これはつまり理想の力の入れ方を子供が実際に体得したとしても、表に見える動きは大人とは違っている可能性があることを意味している。具体的には体幹が弱いので足が引きつけられず、腕の力で引き戻すことも難しいので、大人よりも足が後ろに流れ気味で体も揺さぶりながら手足を振り回す動きになりがちだと私は感じている。言い換えれば少し体を揺さぶりながら足を流して走っている状態で上の世代に送り込むと成長とともに体幹が強くなり、ちょうどいい具合に収まるということだ。
これとは逆に子供の時の見た目の動きを大人と同じにすると実際には速く走れたとしても、力の入れ方が違うので大人になるにつれうまく走れなくなるという現象が起きる。さらにこの動きを固めるために走り込んでいたりした場合顕著になる。これが早すぎる最適化だ。ある年齢でパフォーマンスを最大化させるために体に教え込んだものが、年齢を重ねて身体や環境の条件が変わってきた時に逆に成長を阻害する要因になるというものだ。野球で聞いた話では子供の頃は守備があまり上手ではないために転がすバッティングが有効だが、大人になるとみんなの守備が上手くなりこれが効かなくなる。その時昔につけた癖が成長を阻害するというものがあるらしい。これは動きだけではなく精神的な特性にも現れる。年齢が若いと情報が少ないために自分の頭で考えると逆に成長が遅いために、指導者が全部を設計した方が競技力が向上しやすい。ところが、このような状況で育つと、実際に体で表現もできるしパフォーマンスも高いのだが、何故自分がそれができているのかを本人が理解していないような状況が生まれる。こういう選手は指導者の元を離れると、練習の意図がわかっていないので、表面だけを真似していって徐々に崩れていく。これもある種の早すぎる最適化になると思う。
私は早熟だったが、子供の頃かなりほったらかしで育てられたのと、様々な競技に触れ動きが固定化されにくかったので、この早すぎる最適化があまり起こらなかったように思う。また、怪我を定期的にしたのも助けになったかもしれない。種目自体も18歳で100mから400Hに変えた。ただ、一つ自分の勘違いもあって、積極的に足首関節を使って地面をひっかくという動きを子供の頃からやっていて、その癖が生涯残ったことに悩まされた。言語と同じで子供の時に覚えた動きはネイティブのように体にしみ込むので影響が大きい。
さて、今度は20歳半ばを越え習熟してくる年齢で起き得る問題について話してみたい。
20代を境にしてそれまで強い選手と、競技人生の後半に向けて強い選手の違いは何か。私なりの分析では、自分の強みとトレーニングの要点を理解しているかどうかだと思っている。年齢を重ねると回復が遅くなる。かつ練習の質も高くなり一回の練習のダメージが大きくなる。回復が遅くなり練習のダメージが大きくなるということはリカバリーに時間がかかるようになる。リカバリーに時間がかかるということは、休みを取るために練習量を減らさざるを得なくなる。つまり、年齢を重ねても伸び続けるためには、限られた練習量の中で、より質の高い練習をする必要がある。質は最も競技力向上に重要なトレーニングを行えるかどうかにかかっている。ここで選手に差がつく。
これは選手が就職して練習時間が短くなると逆に強くなる現象が起きるのにも似ている。学生時代は時間があるからなんでも練習を詰め込んでしまうが、就職すると時間がなくなるので重要な練習だけを選ぶように意識し始めるからだ。人間は限界が設定されて初めて何を入れて何を省こうか考え始める。それはつまり優先順位をつけるということだが、基準のない優先順はないから、何が基準なのかを考えざるを得ない。基準を決めるためには、競技の特性と、自分の強みと戦略がわかっていなければならない。ひっくり返すとそれがわかっていない人間は練習に優先順位がつけられないために、無駄な練習を行ってしまう。イメージで言えば幹と枝葉があり、幹が何かを考えたことがない人間は枝葉と幹を混ぜるので練習効率が落ちてしまう。
また、大人になるとどこかに痛みを抱えていることが多く、それによってできない練習が出てくる。そのできない練習が重要であれば痛みが出ない方法で代用しなければならないが、代用する時にその練習の本質がわかっていないと代用の練習が違う効果を生んでしまう。料理をしていて人参の味がよくわかっていなければ他の野菜で代用できないのに近い。この点からも練習の意味をわかっていなければならない。
参考までに私が考えたことを羅列してみる。
①走る競技は全て胴体をゴールまで運ぶ競技である。400H の場合ハードルが10個プラスさせる。ハードルはつまり、ブレーキをかけ少し身体を上に引き上げハードルを越える行為。飛び上がる際のブレーキを最小にすることがハードル技術の差。
②ブレーキは踏み切る瞬間に決まっている。最もブレーキが少ないのはハードルに対し適切な距離で踏み切った時。空中動作はそれほど差はない。踏切位置は2,30m手前から影響を受けている。400Hの要はハードル間の歩幅の調整。とくに低身長である自分の特徴を考えるといかに最小の上下動でハードルを越えるかが重要。
③400Mのスピード+ハードル間の歩幅調整技術が400Hの根幹要素と定義
④練習は7割走力、3割技術。技術練習はハードルを跳ぶ行為ではなく歩幅調整が大事なので、ミニハードルやバウンディングなどの様々な態勢でスピードを変えず歩幅を調整する練習を行う。適切な距離で踏み切ればだいたいうまくいくので実際にハードルを跳ぶ練習は、プライオリティを落とす。
という風に順に考えていって練習を決めていた。もちろん違う見方をする400Hの選手もいると思うがなんにせよ、一体自分はこの勝負の何が要諦だと考えているのかを整理することが重要だと考えていた。それがなければ練習の効率が落ちる。大人になって練習効率が悪ければほぼ通用しない。年齢が上になってくると、グラウンドの上よりもむしろ知識と思考量で差がついていくと私は考えている。
大雑把にまとめると、幼少期にはなるべく様々な体験をし早すぎる適応や競技特化型の適応を避けなるべく色んな引き出しを作っておく。成熟してからは、狙うべき競技を絞り込み要点を絞り、自分の特徴を整理し、適応させにいく。幅を広めにとって徐々に当たりをつけて最後にそこに一点投下するというイメージに近いだろうか。私が子供時代に色んな経験をして欲しいと言っているのは、人生で多様な体験をすることが、何に自分が向いているか努力をどこに割り振るかの勘を得るために重要になると感じているからだ。パフォーマンスが上がるということは適応するということであり、適応するということは若干でも癖づけるということでもある。どのタイミングで最適化するかが競技者にとってはとても重要だ。
1978年広島県生まれ。
スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2018年7月現在)。
現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める。
新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。