負け癖がつくと本当に辛い。勝ちたい勝ちたいと願っても、それが裏目に出てまるで引き寄せられるように負けてしまう。負け癖がつくと選手は試合に出るのが本当に嫌になる。試合のために練習をしているにも関わらずできれば練習だけずっとしていたいという気持ちにすらなる。
私は負け癖と勝負弱さは分けて考えている。勝負弱さは人生において向き合う性質のような弱点として捉えているのに対し(もちろん後天的に改善すると思うが)、負け癖は期間の長短はあれあくまで一時的なものだ。また負け癖はただ負けが続いている状態とは違い、客観的に見て勝てそうな状況でも負けてしまう状態を指す。いやむしろ勝てそうな状況になればなるほどまたあの時のように勝利を逃すのではないかと言う記憶がよぎり、事実そうなってしまう。スランプとも違う。スランプは実力自体が出せなくなるので、パフォーマンスが総じて低い。負け癖はパフォーマンス自体はそれほど変わらないのに勝負の局面でだけパフォーマンスが低い。
負け癖に限らず、競技における癖というものは、自分が勝手に編集した記憶が起こしている。例えばコインを投げて、裏が4,5回続くことはそれなりにあるだろう。機械であればそこになんの意味も見出さない。ところが人間は起きた出来事に何か理由をつけなければ気が済まない生き物で、負けたことに理由を探し始める。そしてそして自分に何か問題があるのではないかと考え始め、さらに次回の勝負の時に余計なことを考えてしまうようになり迷路に入り始める。全てを忘れられる人間がいるとしたら、負け癖は存在しない。敗北したという事実ではなく、敗北した記憶の編集の仕方によって負け癖が生まれる。
しかしながら、最初はただの記憶だったとしても、それが続いていくとだんだんと自信を失い、最後には自分の立ち位置をそこに置きはじめてしまう。要は自分は敗北する側なのだと自分でレッテルを貼り始める。一度その立ち位置に自分を位置付けると、そこから抜け出ることを、自分自身が邪魔をし始める。お前が勝てるわけないだろうと自分が自分を否定するようになる。引退後も続くことすらある。
いくつかのパターンとその対処方法はどんなものがあったか。
1、堂々巡り
負け始めると、人間の頭は堂々巡りをし始める。特に思考が狭まりやすいタイプは、他人のアドバイスや外部の情報に対し素直に受け取ることが苦手で、かつ負けているから自信も失っていて否定的になりがちだ。でも、だけど、という言葉がつい湧いてくる。いろいろと悩み、考えるが、行動としては毎回同じことを繰り返してしまう。
このような堂々巡りパターンから抜け出すには自分の頭で考えていてもラチがあかないので、少し距離があるように思えるが、一回やめてみて、それから日常の自分の行動パターンを調べ、様々な人間に会うことを勧める。私は客観性は、視点の多様さのことだと思っていて、いろんな考え方や物の見方をインストールすることで、堂々巡りから抜け出せる可能性が高まるのだと思う。さらに人は同じ行動を取っている限り同じ思考にはまりがちになると私は考えている。セミナーなどでいつも左に座る人間は、左から見える風景を元に思考を展開する。自分の行動を変化させることが思考に新しい展開をもたらす。
2、反省しすぎる
競技人生の前半で勝ちまくっていた選手が一回負けてからピタリと勝てなくなることがある。人間の恐れは生来のものと、経験由来のものがある。初心者は勝負の経験が少なく、経験からくる恐れを抱いていない。ところがある日一回負けると敗北経験が生まれる。人間は理由を探す生き物だから、何か自分が間違えたんじゃないか、または相手がすごく強くなっているんじゃないかと考えるようになる。実際に敗北には理由がある場合もあるが、それでもせいぜい8割ぐらい正しくて2割間違えていたというぐらいのバランスだろう。本当にたまたま負けただけだということもある。このように負けたからといってこれまでの取り組みの全てが原因のわけではないが、反省しすぎるタイプはこれまでやってきたことを否定し過ぎてしまう。変え過ぎれば定着せずうまくいかず、うまくいかないのでまた反省しすぎて変えてしまいどんどんはまり込んでいく。
このような場合はコーチをつけるか、ある時期の間は変えないということを決めてそれを貫いた方がいい。その場合、疑いながら貫くことと、信じ切って貫くのでは正しい選択でも効果に大きな違いが出るので貫き切った方がいい。シンプルに言えば自分のスタイルに立ち戻るしかないので、元々の自分の得意技や基礎に返って練習するのが良いと思う。
3、空気を読みすぎる
人間が重圧を感じる背景に、少なからず他者の期待がある。いわゆる真面目でいい人は空気を読むことができるが、それが他人の意図を過剰に感じ取りプレッシャーにつながっている側面もある。また空気を読む人間の違うパターンでプライドが高すぎる場合もある。共通点は他人からの目を気にし過ぎて自分の行為に集中できなくなることだ。
私もこの状況に入ったことがある。練習ではうまくできるが、試合になって人が見ていると自分が失敗するかどうかをみんなが見ているという気分になってうまくできなかった。ようは視野が広過ぎて、人の気持ちを察し過ぎて、自分の役割がわかりすぎて、パフォーマンスそのものに集中できなくなっている。だから、人の気持ちを無視する練習が必要だと考えていた。だからこの頃から試合い近くなると壁に向かって立ったり、とにかく人はただのモノとして考えて、ひたすらに自分と向き合って自分のプレイそのものに集中しようとしていた。子供の時に夢中でゲームをやっていて親に呼ばれても気が付かなかったあの状態になんとか入ろうとしていたというのに近いだろうか。ブレイクスルーは表情で、能面のような顔をすると自分と外界を切り離せる感じがしたのて、いつも顔を作っては試合に出ていた。
負け癖から抜けるのに一番いいことは、勝敗というものを忘れてしまうことだ。負け癖は勝敗にとらわれすぎた病とも言える。忘れるために一番手っ取り早いのは何かに夢中になることで、私は楽しみに浸ってしまうことが一番だと考えている。これが強いプレッシャーにさらされるオリンピアンが、試合前に楽しんできますと表現する理由だと考えている。楽しみたいという言葉をもう少し正確に表現すると没頭したいということになるだろう。没頭していれば過去の記憶がつい浮かんでしまう状態を排除できる。
負け癖は自分が作り出した幻に過ぎないが、幻が故に具体的にどうアプローチしていいかわからない。私は本質的には原点に返ることが大事だと思っている。多くの選手は競技を始めた頃、無邪気に楽しくやっていたはずだ。これが競技人生が進んできて重圧がかかってくるといつの間にかしかめっ面になり、考え込むことが増える。子供に戻れる選手はプレッシャーに強い。だから仮に負け癖に悩んでいる選手がいたら、競技を始めた頃の無邪気で楽しかった時の頃に戻ることを進めている。負け癖は厄介だが、ただの認識の問題なので必ず抜けられると私は考えている。
1978年広島県生まれ。
スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2018年7月現在)。
現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める。
新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。